私の柔術歴

ブラジリアン柔術

現在、私はブラジリアン柔術の紫帯。
黒帯じゃないのかよ!とツッコマれそうだけど、ブラジリアン柔術で黒帯になるのはどんなに早くても5~6年はかかると言われています。平均的には黒帯まで10年くらいかな?
紫帯になるまでの思い出を残しておこうと思います。

ちなみに、ブラジリアン柔術の帯は白帯から始まって青帯、紫帯、茶帯、黒帯(0~6段)、赤黒(7段)、赤白(8段)、赤帯(9段)と上がっていきます。実質黒帯まで上がれたら十分やり遂げたといえると思います。

白帯時代

スタートは誰しも、どのスポーツも素人、白帯から始めるはず。
私がブラジリアン柔術を始めたのは15年前、大学3年生の時だった。当時、大学で柔道部に所属していた私は、
「もっと強くなるには寝技の強化だ!」
と当時PRIDEで活躍し柔術マジシャンと呼ばれていた、ノゲイラ兄弟や同じブラジリアントップチームのマリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチの試合を見て閃く。

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
UFCとPRIDEの二団体ででチャンピオンベルトをまいた数少ない選手だと思う。
私の個人的憧れムリーロ・ブスタマンチ先生
黒帯の上の赤黒帯(コラル帯)7段になられたそうです。
柔術家らしいネチネチした試合運びが好きでした。
チャンスがあるならブラジリアントップチームで教えを請いたいものです。
いや、死ぬまでに必ず行く!!
ブラジリアン柔術の赤黒帯

話がそれましたが、柔術ベースのMMA選手を見て、
「やってみたい!柔道にもいいかも!」
と軽く思ったことが始めるきっかけでした。

柔術を習い始めた道場は京都の道場。
空手道場を間借りして週に3回ほど練習をしていたサークルのような感じの道場でした。
15年前は日本人の黒帯がほとんどいなかったので、紫帯の人たちが指導者として活躍していました。私の先生も紫帯でした。
先生は紫帯の中でも結構強かったみたいで、私が大学を卒業するころには黒帯になっていました。

当時は青帯以上の人は少なくて、どの道場も白帯ばっかりでした。
練習の内容も柔道の寝技をひたすら練習するという感じで、違和感なくブラジリアン柔術に私はハマっていきました。
今現在のモダン柔術とは違って、クローズドガードからの攻防やハーフガードの使い方など結構ベーシックな動きを練習していた記憶があります。

そんなベーシックな柔術を学び。試合にもたくさん出ました。
当時スタートした『レグナムJAM』というワンマッチの大会には毎回参加してました。戦績は勝ったり負けたりの繰り返しだったと思います。
一度『コパ・ドゥマウ』という日系ブラジル人主催の大会に出場しましたが、一回戦でブラジル人に袖車締めで秒殺負け。同じ階級かと思うくらいパワフルな胸毛モジャモジャのブラジル人でした。

そして、レグナムJAMの派生大会としてレグナムJAMのトーナメントが行われました。その大会で優勝し先生から青帯昇格を許されました。白帯は約1年半でおさらばとなりました。
ちなみに柔道もちょっとはうまくなり、小さな大会ならベスト4くらいまでなら食い込めるようになりました。

以上が白帯時代。

青帯時代

さて、ここから約12年に及ぶ青帯時代に突入します。
といっても、8年ほど柔術の練習をしてなかった時期があるので、実質4年ほどが青帯として練習していた期間です。

青帯昇格後、すぐに大学卒業。大阪に就職した私は大阪で老舗のMMAジムに入門しました。京都の先生も指導者として所属になっていました。

PRIDEやDEEPなどで活躍していた選手と一緒に柔術の練習ができたことはいい経験となりました。もちろんまったく適いませんでした。

1年半くらい所属していたと思います。この間に転職で引っ越すことが決まり、退会。その後しばらく柔術から離れてひっそりと暮らしていました。
この頃も二度ほどドゥマウ主催の大会に参加しましたが、一回戦負けでした。この負けによって青帯の壁は高いと感じたことで柔術の楽しさが薄れていきます。そこに転職、引っ越しときて、柔術から離れることになりました。

柔術から離れている間に、結婚し子供も生まれ、再び転職。
私生活が落ち着いてきた私は、だんだん物足りなさを感じていました。
暇つぶしにネットで柔術ができるジムを探してみるとご近所にあったのです。
ジム代表者に連絡もなしに突撃。代表のプロ選手の方は驚いてましたが、その場で入会。

年齢カテゴリーがマスタークラスになった私は試合に出まくります。
結果だけをまとめておくと、
優勝2回、準優勝10回、3位1回
という戦績を残し、昨年の全日本クラスの大会での準優勝を機に紫帯への昇格が許されました。

なんやかんや実質約4年で青帯卒業です。

紫帯昇格後

そんなわけで紫帯になったのですが、ジムの青帯の人たちもめちゃくちゃ強くて、紫帯を巻くことがだんだん恥ずかしくなってきます。
「もっと強い人がいっぱいいるジムに行けば、早く紫帯の実力が付けられるのではないか?」
と、思い始めた私は、試合で友達になった選手のジムに出稽古に行きました。
そこで出会った日系ブラジル人の先生がとてつもなくいい人で、掛け持ちで入会することを決意。

東海地区最大級の柔術チーム

掛け持ちで入会したのは、東海地区最大級の柔術チームです。
入会して半年たった今でも支部がどこにあるのか、黒帯の先生がチーム全体で何人いるのか知りません。それぐらい選手も指導者もたくさんいるチームです。

ここでもっともっと強くなって、滋賀の道場の人たちにも恩返しし、早く次のステージである茶帯に昇格することが、柔術での目標です。
そのためには早く練習できる体力を戻さねばなりません。いつ復帰できるか、いまだはっきりとは分かりません。
練習ができる日、ジムの人たちに会える日のため、日々できることをコツコツとやるしかなさそうです。

練習ができない日を悶々と過ごすのはつらいので、紫帯に刺繍を入れることにしました。刺繍の出来上がりという些細なことが今はとても楽しみです。
出来上がったら、写真をアップできればと思います。
糖尿病に負けず、一度きりの人生を楽しみます!

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